DRASTIC TRANSEMOTION

人間に対する感情

ナミダバシ解散によせて —“完成”された漫才から生まれるジャズスキリングの熱狂—

ナミダバシ解散に関しての個人ブログ記事のタイトル画像

元写真はフォロワーからお借りしました

西暦2021年12月3日、日本のお笑い芸人・漫才コンビ「ナミダバシ」が解散を発表した。2017年7月結成、活動歴4年半足らずの決断となった。

 

ナミダバシについて

ネタ作り・ボケ担当のたくみとツッコミ担当の太朗によるコンビであるナミダバシは、それぞれ2021年12月現在31歳と29歳で、芸歴8年目以下の芸人だけが舞台に立てる「神保町よしもと漫才劇場」を中心に活動している東京吉本所属の若手漫才師だ。

たくみの“奇人”としか形容しようのない立ち居振る舞いから繰り出される、時空やらなんやら様々なものを歪めつつも、どこかファニーさの残る白昼夢のようなゆめかわボケワールドを、太朗による上方漫才レペゼン明瞭発声コテコテ関西弁長広舌ツッコミが、獰猛な捕食者のごとく大胆不敵にズバズバと切り裂いていく。高速で切り替わる夢と現実のはざまにしか見ることのできない唯一無二の、孤独で、でも強靭な、笑い。
生まれながらにしてアンナチュラルなふたりが織りなすフリーキーな個性と個性のぶつかり合いは、多くのお笑いファンを魅了してきた。

過去最多6017組が出場した今年のM-1グランプリ2021では惜しくも準々決勝敗退となった。今年の準々決勝進出は全126組。126/6017である。彼らにはそこに残る資格も実力も充分にあった。その時のネタがこちら。

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どうでしょう。面白いですね。はい。

 

漫才とジャズ(のリズムセクション)は似ている

漫才というアートフォームは一般的にボケとツッコミの計2名による会話の掛け合いという形式をもち、めんどくさいしお酒も入ってきたので唐突に文体が崩れますが、私の個人的な“いい漫才”の条件として、「掛け合いが音楽的であるか否か」という基準があります。そしてそれはそのまま、ベースとドラムによるリズム・セクションの演奏に相当するのです。するんだから仕方がないでしょう。ほんで(崩れすぎてる)、いろんな音楽ジャンルの中でも特にリズム・セクションの絡みが魅力のものといったらそれはジャズなんですよね。それではここで一曲お聴きください。

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 はい。ウェザー・リポート、1979年のアルバム『8:30』から『ティーン・タウン』お聴きいただきました。いただきましたね? はい。ベースはジャコ・パストリアス。ドラムはピーター・アースキン。両名ともジャズリスナーなら誰もが知る名演手であります。ジャコパス先生はこの楽曲の作曲者でもあり、いわゆる「ネタ書いてるほう」みたいなものだとお考えください。

リズム・セクションに求められる楽曲全体の屋台骨としての機能を維持しつつも、縦横無尽に繰り出される奇想天外なベース・フレーズに、パワフルかつ鬼のような手数のドラムが肉迫し、クールで、野蛮で、スリリングなプレイの応酬。ウェザー・リポート創始者であり花形である上物*1の二人、キーボードのジョー・ザヴィヌル&サックスのウェイン・ショーターもこれにはニッコリといったところでしょうか。

ここで先に貼ったナミダバシの漫才をもう一度再生してみてください。私は親切なのでもう一回貼ります。

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どうでしょうか。めちゃめちゃ音楽的じゃありませんか。私のいう“いい漫才”のニュアンス、伝わるんじゃないかと思います。伝われ〜〜!!!

 

“JAZZ”を感じる瞬間のこと

私はナミダバシのこのネタ、おそらく『マッチ売りの少女』というタイトルであろうこのネタ、いや“曲”を、お笑いの劇場、いや臭くて汚えライブハウスや、それよりはちょっとマシだけど備え付けの椅子に座ると必ず腰が死んでしまう現場などで幾度となく聴いてきました。

M-1グランプリとかいう名のポップ・ミュージック・シーンへ刺すことに照準を合わせ調整された4分半という尺、前半のフリの時点で何かを想起させうる掛け合い、後半へと進むにつれ激しくなる演奏など、楽曲の大まかな構成は最初に聴いたときから変わっていないものの、前半部にキャッチーなフレーズを盛り込もうとあれこれ試行錯誤したり、後半の畳み掛けでよりスムーズに客のハートを掴むべく、128分音符単位で偏執的なまでに間を調節したりと、この曲へかける情熱を肌で感じてきました。

また時には、旧知の仲ではあるものの先にバカ売れした先輩ミュージシャンからアドバイスを受けたりと、他にも私のような一ファンの視点からではカバーしきれない様々なトライアンドエラーを繰り返してきたのでしょう。前出のM-1準々決勝における『マッチ売りの少女』の仕上がりは、これまで見てきたなかで最も優れた演奏であり、アレンジでした。楽曲の持っているポテンシャルを完全に発揮した状態。板の上で起こるこの現象を目撃した瞬間、私は“JAZZ”を感じるのです。ああ、それなのに。

 

なぜやらないのか

ナミダバシは解散を発表してしまった。なぜなのか。つーか、これからっしょ。そもそも準々決126組全組面白いよ。全員合格って阿佐ヶ谷姉妹も言ってたじゃん。あとはもうやるだけじゃんこんだけできるんだから。やってよ。なんでなんだよ。なんなんだよこの世界は。ふざけんじゃねえよ。ちくしょうちくしょうふざけんな

……とかって思うんですけど、なんかよくわかんない公約みたいなのがあったんですよね過去に。これなんですけどべつに読まなくてもいいです。

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まあなんかそんで、これの直後にコロナ盛り上がっちゃってなんか延期みたいな感じでズルズルと活動継続していて、いや、してくれていて、もうそのままうやむや*2)でいいじゃん、って思ってたんですけどね。

しかしまあ現実としてはほぼほぼ公約通り、M-1決勝行けなかったので解散と。は? それの何がかっこいいんだよハゲ。ああ私としたことがboldだなんてはしたない。でもまあそうでしょ。

 

でもバンドとかだったらあるあるだよね

はい。

それでいったら、やっぱやめるのやめま〜す再結成再結成! というのもよくある話で。なのであって、ひとまずこちらとしてはその線を望んで生きていこうかなあなんて思っております。だってさあ、ほんとに、すっげ〜〜〜いいバンドなんだよ。みんなに聴いてほしいし、願わくばまだまだ続けてほしいよ。

おわりです。それでは最後の曲。andymoriで『ユートピア

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バンドを組んでいるんだ すごくいいバンドなんだ

みんなに聴いて欲しいんだ バンドを組んでいるんだ

一人きり部屋のすみで生まれた情熱が

誰かの声を聞いたんだ 確かに聞いたんだ

 

 


 

余談: あと思ったんですけど

お笑いって音楽と比べると、人の曲のカバーとかをプロはあんまりやんないし、バンドの掛け持ちも基本的にはしないんですよね。「ネタ」・「コンビ」という概念が何か聖域とされてるような印象があります。

ネタを書く側書かない側問題とかもあったけど、音楽でいうとコンポーザー優位でプレイヤーの貢献度が適切に評価されていないような。ナミダバシだと特に太朗の長尺明瞭ツッコミはプレイヤーとして超強力なスキルなので、セッションミュージシャンとして重宝されそうなものなのになーと思ったりします。ナミダバシやめんでいいから掛け持ちとかしろ。

また、ネタというのもある種パブリックドメイン的な運用というか、往年のジャズスタンダードみたいな感じで「あの昭和のジャイアントたちが生んだ名曲を演ります」みたいなことがカジュアルに行われたって良いのではとか思いました。需要ないのかなあ。それこそM-1チャンピオンの優勝ネタをやるとかも観てみたいけど。たとえば私なら笑い飯奈良県立民俗博物館』をコウテイにカバーしてほしいです。

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実際のところはまあ、お笑い用語でいうところのいわゆる“ニン” == Player’s personalityと楽曲が何か謎のアウラ的なもので密接に結びついている(べき)みたいな雰囲気だし、もしいざやるぞとなったとしても、日本のお笑い業界って先輩後輩みたいな縦社会の構造いまだに根強いっぽいし、完全に非現実的な話なのですが。

 

それではほんとうに最後の曲、お聴きください。トニーフランクで『壁の向こうに笑い声を聞きましたか』。


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才能ある後輩やめてった

 

ここまで読んでくださった方、“今より少しマシ”な良き人生を。さようなら〜〜(^-^)/~~

*1:リズム・セクションをアンサンブルにおける基部とみなした時、その上部に配置されるべき種々のパートのこと。具体的には管・弦・歌唱などがそれにあたる

*2:すみませんここジャニオタのブログなんで、[PR] だと思ってスルーしてください