DRASTIC TRANSEMOTION

人間に対する感情

タイプロ候補生の歌唱力試論 ——アイドル・ポップスにおける〝歌の上手さ〟とは何なのか(未完)

読み進める前に(disclaimer)
  • 本稿はあくまで歌唱における巧拙の定義について、独自データを基に可能な限り客観性を保持し記述することを心がけております
  • 大前提、歌唱力のみを以てして候補生の合否が判断されるとは一切考えておりません。『timelesz project -AUDITION-』(以下『タイプロ』)番組内で大倉忠義さんが仰っていたことと認識のズレはないものと心得ております
  • 諸所の事情も鑑みていたところ、道半ばで力尽き、未完の原稿となっております

 

前提:今日のジャパニーズ・ポップスにおける現状

ビルボードやそれを受けたK-POPの隆盛による影響もあり、二〇二〇年代中盤現在における日本の音楽シーンは複雑化の一途を極めています。

具体的な楽曲制作に関しては、DAW*1環境の普遍化以降に顕著である、同時発音数の増大化・多層化を鏑矢として、幅広いジャンルごとのキャッチーな要素を取り入れ、換骨奪胎し、現在においてすでに形骸化したと言って過言ではないはずの「J-POP」という枠組みに、半ば無理矢理にでも収めてゆくといったような、非常に高度な要求をかたちにする。そんな必要に、第一線の楽曲制作者たちは迫られています。

また制作環境においても、上述のような要求を実現すべく、一昔前とは比較にならないほど緻密なサウンド・プロダクションを経て制作が行われています。一例を挙げると、複数人のプロデューサー/トラックメイカーらによって作詞・作曲・編曲までを進行する「コライト」と呼ばれる制作手法も今日では一般的になりました。CDブックレットの記載や、サブスクリプションサービスの脚注、あるいは音楽番組などで表示されるクレジットにもその一端が見られます。

そのような状況下で、リスナーが求める多種多様な評価軸のなかでも、あらためて今、演者の歌唱力へ着目されることは、ある種の必然と言えるでしょう。一般的なリスナーにとっては、複雑化したバック・トラックに対して向き合い理解する余裕は殆どなく、かろうじてボーカリゼーションにおいてのみ、評価/言語化が可能、といった趨勢になるのはごく自然なことです。

そして楽曲制作側にとっても、ボーカリゼーションへと意識が向くよう、ある程度作為的に仕上げているものと推測されます。ポップ・ソングの様式として遵守しなければならない、あくまでボーカルが主/それ以外は従、といった構造は、ポップ・ミュージックという音楽スタイルが生まれた頃から変わらず、いま現在でも有効であるという証左になっています。

 

極私的・ポップスにおける〝歌の上手さ〟の判断基準

前章では炎上リスク回避のため小難しいことをだらだらと書きました。インターネット狂戦士のみなさまがたにおかれましてはブラウザ・バックいただけましたでしょうか。それでは本題。

本章は本稿の中でもベースとなる考え方ではあるのですが、同時にかなり偏った持論となりますので、興味のないかたは読み飛ばしていただいても構いません。めちゃめちゃエチケットペーパーを敷きまくりましたが、以下ざっくりと解説してまいります。

これらの各要素は、ボーカルに限らずメロディを発する楽器などにもいえるものですが、本稿ではあくまでボーカルの場合について説明していきます。

a. ピッチ

歌メロにおける音程のことです。「ピッチがフラットしている」というのは正確な音程より下方向に(低く)ずれていること、「ピッチがシャープしている」というのは逆に上方向に(高く)ずれていることを意味します。

一般的に生物学上男性はその身体的構造上、歌唱のキー(チェストボイス=地声で出せる音域)が低い傾向にあるため、高音を出そうとした際にピッチが比較的フラットしがちです。

また、幼少時からピアノなどピッチの正確な楽器を習っていたりすると、自ずと正確なピッチを身につけることができると言われています。なお広範に使われている「絶対音感」という言葉は、ここでいうピッチが正確で、かつ鳴っている音がドレミなどの音符として判別できることを指しているケースが多いです。

b. ボリューム

もちろん音量という意味なのですが、歌唱においては「声量」と表現するのがわかりやすいでしょうか。もちろん声が大きければ良いというわけではないですが、地声の小さいかたが声量を大きくするためには、相応の鍛錬が必要になります。

またレコーディングなどの、舞台上ではない場合においては、サウンド・エンジニアが波形データ(ここではわかりやすさを優先し、録音された声をデジタル表示に変換して視認可能にした状態のもの、とお考えください)を確認しながら、プロデューサーまたは本人が発声バランスを整えたり、もっというと波形データそのものを直接編集して聴き取りやすくすることが可能です。

しかしながらコンサートなどの舞台上では、俗に「返し」と呼ばれる、ステージで鳴らされている音を演者へ聴かせるためのモニタースピーカーや、演者自身が耳に装着するイヤーモニター(イヤモニ)によってのみ、自身の発声やバック・トラックを聴くことができるため、ボリュームの調整は他の要素と比較して容易に思われるかも知れませんが、他の音と調和させる際にもっとも気を遣う必要のある要素となっています。

c. リズム

そのままの意味です。たとえどんなにピッチが正確であっても、リズムに対する理解度が低いと、歌唱を心地よく聴かせることはできません。

楽曲によって〝ノリ〟は様々なので、個々人の適性によって得手不得手がありがちです。リスナーとしてはそこが興味深いところでもあります。

また、人には生来のリズム感覚があり、生来的にジャストのリズムがとれる人もいれば、ハシッて*2いたり(リズムが前倒しになっていること)、逆にモタッていたり(後ろ倒し)する人もいます。

ただご注意いただきたいのですが、多少のハシり/モタりは〝アジ〟になったりもするので、ジャスト以外の人が一概に劣っているというわけではありません。

d. トーン

「音色」とでも訳せば良いでしょうかね。わかりやすい説明がけっこう難しいのですが、歌唱におけるニュアンス全般、および歌唱全体の安定感を担う要素です。

ピッチ・ボリューム・リズムが及第点以上だったとしても、発せられた声が安定していなければ、少なくとも歌が上手くは聴こえませんよね。たとえば歌の上手い人による技術のひとつとして「ロングトーン」という言葉を聞いたことがあるかたも多いのではないかと思われますが、あれは発声の開始から終了*3までのブレがなく、長く伸びる歌メロを歌い切るというもので、わかりやすい指標になっています。

ポップスの歌唱におけるトーンとは、先に挙げた3つの要素を踏まえたうえで、それらを包摂するような、より高次の、重要な要素となるイメージです。これには演者の〝個性〟の形成、およびその表出にも密接に関わってきます。

e (extra). 声質

これを歌唱能力の要素に入れるのはブレが生じるかなーと思って悩んだのですが、あくまでポップスの歌唱に限った話であり、かつアイドル文脈においては、この声質というものが最も重要視されている状況を加味し、追加しました。

ぶっちゃけ上記4要素すべてが、そのとき求められている水準に達していなくとも、天与の声質さえあれば、アイドルの歌唱というのは成立しうるものなのです。もっというと、上記4要素はボイトレなどの鍛錬である程度底上げできる。しかしながら、持って生まれた声質というのは変えようがない。声質一発で〝個性〟さえも獲得できてしまう。残酷な事実、というやつです。

各要素についての補足

上記4+1要素が〝個性〟に到達するプロセスを、無理やり図にしてみましたので、視覚的なイメージを掴む補足となれば幸いです。

声質以外の4要素については、上述したようにそれぞれ鍛錬が可能なものです。この場合の鍛錬というのは、演者各自がそれぞれの弱い部分を補強していく・強い部分をより伸ばしていくだけではなく、各要素を「自分の意志でコントロールできるようになるか」こそが肝要である、という点を留意いただきたく思います。

ピッチ・コントロールであれば、ハモリのメロディや、目立つソロ歌唱など、楽曲の展開的に正確なピッチを取る必要がある箇所では、落とすことなく確実に取る。ほか、楽曲内の特定の箇所で、切なさを出す必要がある場合、あえて1/4だけフラットさせる、などができるか。

ボリューム・コントロールであれば、自分以外が発している音をきちんと聴き取りながら、ブチ上げるところでは大きく、囁くようなところでは小さく、しかしマイクへの音の乗りを意識しつつ、上げすぎず・下げすぎない調整ができるか。

リズム・コントロールであれば、曲終わりでだんだん遅くなっていく展開(リタルダンド)に顕著ですが、一定の(スクエアな、とも言います)リズムにのみ合わせられるだけでなく、ロック調の楽曲なら前ノリ、ダウンテンポで気だるい大人っぽい楽曲なら気持ち後ろノリ、などのように、楽曲解釈含めてリズムへの理解度を高め、自分の生来のリズム感についても相対化し、臨機応変に対応できるか。

トーン・コントロールであれば、歌唱における声の響き方、ブレスの入れ方、適切なヴィブラートの量、正確な音価(音の長さ、みたいなものです)の解釈、どこを裏声にしてどこをミックスボイスにするかなどの、楽曲ごと/自パートの歌メロごとの「歌声の表情」を適切な表現に昇華できるか。

これら歌唱に重要な、かつコントロール可能であると見なされうる各要素を、実際にどこまでコントロールできるか。またそれを舞台上で、私はいかにもコントロールできていますよ、という素振りを見せずに、いかに自然なショウとして成立させられるか、がキモになってくるでしょう。これはダンスにも同じことが言えそうです。

もちろんポップス以外のジャンルには、これらのコントロールを必ずしも求められないケースもあります。たとえばパンク・ミュージックなどにおいては、むしろコントロール自体を放棄したほうが、生々しくて格好良かったりします。が、本稿ではあくまでポップスの歌唱について扱っているため割愛します。ここではあくまで、ポップスの歌唱というものがいかに複雑なプロセスを経て成立するものなのか、を主軸としています。なおクラシックなど声楽の領域までいくと更なる難度が要求されますが、それに次ぐほど、ポップ・ソングにおける歌唱というものは難しく、奥が深いものです。また時にそれを難しいと感じさせない必要がある、という技術も特殊なもので、巷の先行研究においても議論が活発化する争点となっています。

ちなみに上述したコントロールの類を、まったく意識せず、または少しの鍛錬さえ行えばほぼ天然で実現できてしまう、さらには生得的に耳触りの良い声質をも併せ持った、唯一無二の〝個性〟をもつ人も、稀に存在します。そういう人を天才と呼ぶのかも知れません。

読み進める前に(disclaimer)(2)

次章からはこの4+1要素をベースに、具体的な例を挙げながら説明していきます。ファンのかたがた、お願いだから激昂しないで……。お白湯とか、飲んで……。

もちろん明らかな事実誤認などありましたら鬼訂正かつブッ叩いてもろて。もしくはSNSなどでそれとなく教えてもろて……。なにとぞ、なにとぞでございます。

 

デビュー組メンバーの例

※退所・移籍済みのかたを含みます

別格

堂本剛さん

凄すぎる。手垢の付きまくった言葉で恐縮ですが、まごうことなき一流アーティストです。彼のこれまでのバイオグラフィを経て、ここに辿り着くということ、それ自体あまりにもシビアだし、レジェンダリーだし、ファンタジックだし、何よりご本人も意識されているような宇宙的な凄みを感じざる得ません。

ピッチ・ボリューム・リズム・トーンの各コントロール、その完璧さ・自然さ・心地よさは、トップレベルのアーティストと比肩しても遜色ないものです。さらに天与の甘い声質。そして自身の作曲するファンク・サウンドとのマリアージュ。いちリスナーの私から何か偉そうなことを言える隙は一ミリもございません。

蛇足ですが、ひとつ言えそうなこととしては、剛さんがキャリアの早い段階で歌唱レベルが高かったからこそ、堂本光一さんはまた別の軸として、自分なりの良さを追求するほうへと舵を切れたのではないかな、と推測しています。

私が直接観たことのあるかた

岸優太さん

岸さんの歌唱は、グループアイドルにとって非常に重要な役回りを担っています。Jr.歴も長いためか、当然の如く4要素すべてに瑕疵がないのですが、特筆すべきはトーンの安定感。聴いている人を決して不快にさせない、ハモリや合唱の際も良い意味で目立つことなく、きっちりとボーカルとしての下支えを固めることができる人で、前に出るべきときも過不足なく心地良い歌声を聴かせてくれる。頼れる仕事人であり、稀有でありがたい存在と言えるでしょう。近年はキレキレのラップも披露されていて、地力としてのリズム・コントロールをこれでもかと見せつけてくれていました。未聴のかたはぜひ聴かれることをおすすめします。

京本大我さん

京本さんは、もともとは歌が苦手で好きではなかったと仰っていたように記憶しています(識者のかたファクトありましたらご指摘ください、、)。しかし現在の彼は、グループを牽引する歌メンとしてその立ち位置を盤石なものとしています。帝劇の座長に抜擢されるなど、舞台での経験を経て一枚も二枚も殻を破り、それをアイドルとしての歌唱にもフィードバックしています。4要素すべてに死角がないのはもちろんのこと、トーン・コントロールについては絶品の二文字で、またコンサートで自身のピッチがごくごく僅かに甘かったとき、露骨に悔しそうな顔を一瞬見せてくれるなど、まだまだ研鑽を続けていく気概、高い意識を感じました。未聴のかたはぜひ聴かれることをおすすめします。

渡辺翔太さん

渡辺さんも4要素すべての水準が高く、加えて少し低めのワイルドな声質が非常に格好良く、甘いマスクとのギャップにやられているかたも少なくないと思われます。その低音ゆえ元々の音域は比較的広くないものと推察しますが、特に近年はハイトーンに濁りがなく、デビューに至るまでの期間も、もちろんデビュー後も、少しも腐ることなく鍛錬を続けてきたであろうことが伝わってきます。またこれは個人的な感想ですが、彼の真骨頂はラップだと思っていて、低音をこれでもかと活かしたルードな雰囲気のフロウ(ラップにおけるトーンの要素に近いものとお考えください)にとても色気がありますし、その際に必要となるリズム・コントロールが完璧以上の仕上がりになっています。未聴のかたはぜひ聴かれることをおすすめします。

大橋和也さん

大橋さんは……ほんとうに、歌が好き!! という感じが、全身から溢れ出ていて、それだけでこちらも笑顔になってしまいます。もちろん先の4要素すべて高水準で、声質も素直でかわいく、マイク乗りもよく、グループ内での合唱時も埋もれず、アイドルとしての輝きを、声でも放ち続けている。そのうえでこそ成り立つ「個性」によって届けられるパフォーマンスの尊さを、否応なく享受させてくれます。特に高音部でもキンキンしないトーン・コントロールとボリューム・コントロールは、彼の性格的なやさしさ、ファンを楽しませたい気持ちに由来するものなのかな、と感じています。未聴のかたはぜひ聴かれることをおすすめします。

そして、中島健人さんと菊池風磨さん

※本項目に関しては著しく客観性を欠くおそれがございます

とにかく書き記さねばならないのは、中島さんのパーフェクト・ピッチについてでしょう。ピッチの項にも書きましたが、まさしく幼少時にピアノを習っていた中島さんは、基本いつどんなときでもその歌声のピッチに狂いはありません。これはアイドルのみならず、歌唱を人間活動の主とする者にとっては強力な武器で、旧Sexy Zone時代は彼のその能力による恩恵を強く受けていました。と言わざる得ません。

また、中島さんはピッチのみならず、ボリューム/リズム/トーンのコントロールも素晴らしい。そして声質もなめらかでまっすぐに美しく、音域も広いため、グループでのパフォーマンス歌唱において非常に重要な役割を担っていました。楽曲的に「ここは絶対に外さないほうが格好良いだろう」というタイミングでは、ほぼ必ず彼にパートが振り分けられていました。歌唱という軸においては、グループにおける彼の喪失は間違いなく大きかった、と認めるほかないでしょう。

ですが、だからこそ、timeleszの三人はオーディションへと舵を切れたという部分も少なからずあると思います。これに関しては完全に私の主観ですし、些か本題からズレているためこのへんにしておきます。

そして菊池さん。中島さんがパーフェクト・ピッチの持ち主なら、さながら菊池さんはバーサタイル(Versatile: 多彩な、万能の)・トーンの使い手といえます。どんな楽曲であっても必ず自らの〝アジ〟を滲ませる確かな技術とプライドを持ち合わせながら、常に自身の能力に対する客観性をも有している。各要素の水準も当たり前の如く高いのですが、そのなかでも特にトーンの多彩さ、手札の多さには、パフォーマンスを観るたび舌を巻きます。

そして菊池さんの声質は、良い意味でアイドルらしからぬ独特な聴き感が持ち味で、グループにとってのスパイス的役割のみならず、これまでのアイドルにいなかったタイプのボーカリゼーションからは業界全体の革新性を牽引するような才覚を垣間見ることができますし、先に挙げた手札の多さからは、御本人の音楽リスニング量が底知れないものであることを伺わせます。また彼も音域が広く、伸びやかで艶があり自由さを感じさせる高音と、大人な低音ウィスパーを巧みに使い分け、正直こっちはもうめろめろなんですよね(急な自担CO)。

中島さんも菊池さんも〝魅せる〟演者ですが、中島さんは見せ方のコントロールが上手いかたで、菊池さんは見え方のコントロールが上手いかた、と表せるように思います。このふたつは似て非なるもので、演者としてステージに立つにあたり、中島さんは「みんなー! きょうも最高に格好良い俺を見て楽しんでいってね!」という主体的で自信に溢れたストレートな自己表現に魅力があり、菊池さんは「俺、きょうもけっこう格好良いと思うけど、まぁみんな好きに楽しんでってよ」という客観的、かつちょっとスカしてるくらいがかえって色気の表出した魅力になっている、という……あれ、書いててあんまり違いが伝わらないような……。

とまれ、歌唱の軸でもう少し掘り下げますと、中島さんは前に出るべきときはここぞとばかりに活き活きとパフォーマンスを行うタイプで、己のパーフェクト・ピッチやトーン・コントロールの安定感への自負があり、俺を見ろ! と言わんばかりの力強さや、僕を見て……と言わんばかりの切なさに至るまで、人々の耳目を自身へ集めることに特化した能力の持ち主です。そして、どのような楽曲であっても常に彼の歌声はキラキラとした印象を我々に与えてくれます。ありていにいえば非常にスター性の強いシンガーです。

菊池さんは、特に近年のパフォーマンスは余裕を残したクールでリラキシンな歌唱が印象強く、それをベースにしながらも、ハジけるべきところではハジけられる悪ガキ感も持ち合わせていて、とくに他メンバーがメインの歌メロを合唱しているときにひとりだけ自由にフェイク*4しているさまは、単純な歌唱技術の物差しを超越した、歌うことの楽しさ、演者としての格好良さ、表現することの素晴らしさを我々に感じさせてくれます。しかも前述した多彩なトーン・コントロールのおかげで、聴いていてまったく飽きがこない、多面的な表現力で魅せていくシンガーです。

余談ですが、タイプロ本編で候補生たち相手に菊池さんが吼えていた「俺が俺がでいいんだって」という言葉に至る思考過程には、否応なく中島さんの影を感じてしまいました。Mr.俺が俺がマン、それが中島健人。俺が俺がでグイグイいける人だからこそ彼は魅力的だし、菊池さんはそれが自分に、ひいては今のtimeleszにない要素で、起爆剤となりうるかもしれないと感じているからこそ、将来的に仲間となりうる可能性がある候補生たちに対し、菊池さんなりの言葉で、時にアグレッシブに前へ出ていくことの重要さを伝えたかったのではないかな、と邪推してしまっております。

読み進める前に(disclaimer)(3)
  • 次章は3チームすべての5次審査パフォーマンス本番、および6次審査(最終)の歌唱練習(タイプロ本編 episode15)までを視聴後に記述しています。
  • 重ねてになりますが、歌唱力のみを以てして候補生の合否が判断されるとは一切考えておりません。本稿に書かれていないことを各々でご想像いただく自由について、日本国憲法第三章第十九条に於いて保証されているのは周知のことですが、その内容を公共の場へ表出すること、または筆者へのネガティブな伝達、ひいては本稿を情報ソースとして第三者への誹謗中傷などのために利用する、などの非人道的な行為はその一切を禁止とさせていただきますこと、どうかご了承ください。

 

極私的・タイプロ候補生の歌唱的評価

ここでいう〝評価〟という言葉は、善し悪しを judge するといった意味合いではなく、基本的には「(高く)評価する」という本来の語義に基づいて使用しています。英単語でいうところの appreciate のようなニュアンスです。

そのうえで、本章を前提として次章以降で導き出す論への橋渡しをする意図があるため、定量的評価と不可分になってしまうことは避けがたく、英単語でいう assess のニュアンスも包含している点について、ご理解いただけましたら幸いです。

また人選について、これも非常に偏ったものとなっておりますが、候補者全員について記述していくと膨大なテキスト量になってしまうため、やむを得ず個人的嗜好をもって選ばせていただきましたこと、なにとぞご了承ください。

三次審査通過者

北林楓さん
日野健太さん

四次審査通過者

鈴木凌さん
西山智樹さん
前田大輔さん
山根航海さん

五次審査通過者

浅井乃我さん
浜川路巳さん
本田大夢さん

六次(最終)審査通過者

猪俣周杜さん
篠塚大輝さん
寺西拓人さん
橋本将生さん
原嘉孝さん

アイドル・ポップスに求められる歌声とは

SixTONESAKB48 ——様々なバックグラウンドからなるバラエティ豊かな混声

Sexy Zoneという宝箱 ——それぞれの個性がありつつ揃ったときの一体感

上記から導き出される極・極私的想像 ——新メンバーに求められる歌声

 

 

 

……

……ごめんなさいやっぱりここから先(上?)は色々とこわくてとてもじゃないけど書けませんでした。。

 

兎にも角にも、惜しくも選考には至らなかったかたがたはもちろん、新メンバーひいてはtimeleszの永遠なるご多幸を祈念してやみません。おわりです。

 

 

 

*1:デジタル・オーディオ・ワークステーション。「PC上で作曲や録音、ミックスなど幅広く制作を行うためのソフトウェア」を指す。出典:DAW (デジタル・オーディオ・ワークステーション)とは?|サウンドハウス

*2:タイプロのビハインドでも、前田大輔さんが篠塚大輝さんに「ハシッてる」と伝えたけれど、音楽経験の浅い篠塚さんはうまく意味を把握しきれていないようだった、という一幕がありましたよね

*3:厳密に言うとアタック→ディケイ→サステイン→リリースという、音の状態遷移があるのですが、話が長くなるので気になった方は御検索のほどよろしくお願いいたします

*4:原曲のメロディーやリズムをあえて崩して歌うボーカルテクニック

九井諒子『ダンジョン飯』完結(といまさら読了)によせて

 

1/3: 経緯、または『ダンジョン飯

 

もともとは紙で五巻まで買っていて、そのあと引越しのドタバタでどこへいったかわからないまま時は流れ西暦二〇二四年三月、アニメ版十二話までの視聴を終え、先が気になりすぎて電書で続きを購い、一気に読了。いきおいこの原稿に着手したはいいものの、際限のない逡巡を重ねすぎたが、いまさら(二〇二五年九月)恥ずかしながらも公開することにした。

 

2/3: 総評、または『ダンジョン猫』


一巻の時点で確定的に明らかだったが、いまさら私がなにか言うまでもなく未曾有の大傑作。


読み進めるにつれ、本線のストーリーテリングはもとより、後半エピソードのさらに枝葉にあたるちょっとした描写から窺い知れる物語世界に対する解像度の高さ、ファンタジージャンルに拘泥しない普遍的な人間讃歌が描かれてゆく。

そこには美化もなく、また露悪もない。知的生命体のもつ一般的な倫理観を保ちつつも、善悪のどちらにも偏らないまま、手放しの賞賛も、忌まわしき憎悪も、どちらをも100%の質量で、手加減なしに、だがあくまでもフラットに、九井諒子の筆致は縦横無尽に跳ね回る。

 

既刊の短編集のエッセンス ——とくに顕著なのは『ひきだしにテラリウム』所収のいくつかのごく短い掌編で描かれていた、シニシズムとユーモアが織りなす奇妙な同居、決して解決されることのない“居心地の悪さ”をまるごと飲み込み咀嚼して出力し、剛腕とも思えるがその実ごく繊細な技法によって“読み心地の良さ”として着地させる驚愕の離れ業—— の、セルフ・オマージュとおぼしき遊び心も用意し、それらさまざまな刺激のバラエティと、舵取りの手腕には舌を巻いた。やはり九井諒子はただものではない作家であると改めて思い知らされた。

それがもっとも顕著なのは、ヒト(作中では“トールマン”)とネコ科の野獣とのミックス、ワーウルフならぬ、いわば“ワーキャット”のニンジャ「イヅツミ」に焦点があたり始める後半の展開だ。ファンタジー世界においては珍しくない半獣人クリーチャーだが、その成り立ちには悲しい過去が示唆されている。キャラクターの持つアンビバレントな魅力によって、すでに充分なほど混迷をきわめていた物語に、不思議な軽やかさ、無邪気さが導入されてゆく。

 

3/3: 感想、または『ダンジョン欲』


この作品は《人間の欲望》についての物語だった、ということに後半ようやく気付いた、というか九井諒子の驚異的漫画表現力によって、ごくごく自然な迷彩により秘匿されていたため、私はこのトラップにみごと引っかかった ——引っかけていただいた—— 形となった。

まるで読書体験そのものが、いにしえのTRPGや、ダンジョン探索ジャンルのコンピュータ・ゲームのように、一度引っかかった者を引きずり込み、無限とも思える冒険活劇を擬似体験させてくれるようだった。


“食”という(商業漫画作品としてキャッチーな)メインテーマに端を発し、それに飽き足らず、ヒトの根源的欲望が尽きないことへの、冷淡かつ温情ある一貫した視点によって描き出される、それぞれバックグラウンドが異なった各キャラクターたちの、さまざまな感情や思想をも何ひとつとして取りこぼさずクライマックスまで描き切る覚悟は、きわめて筆舌に尽くしがたく、作中次々と降りかかる困難と呼応するかのような、壮絶で、ある種の作家根性とでもいうべき強固な、独創的情熱がこれでもかというほど伝わってきた。

とはいえ、あくまでも作者の個人的経験や主観にとどまらないバランス感覚によって、エンターテインメント作品としての器を壊すことなく、しかし人類がこれまで摂取したことのない栄養素をふんだんに取り入れ、時に隠し味のようなビターさも加えながら、どのような客層をも振り落とすことなく涵養してゆく。何度でも味わいたくなる体験であったし、九井諒子は飲食店経営をしたとしても成功を収めることだろう。

 

不得意ながらも時には生活のために調理をし、また健康に気をつけるべき年齢にさしかかった者として、終盤で高らかに伝えられるメッセージに対しては、天邪鬼な私でも比較的素直に飲み込めるものだった。それもひとえにそこへ至るまでの描写の執拗なまでの丁寧さ、真摯さが徹底されていたためだろう。

 

これは完全に想像でしかないが、九井諒子はきっと、いままさに世界で起こっている虐殺や、人種差別、その他枚挙にいとまがない不条理に対して、風穴を空ける ——ダンジョンという《非日常》の天蓋が裂け地上の世界《日常》とつながる—— こと、それが可能なんだということ、しかしそれは必ずしも良い結果ばかりを生むものではなく、抵抗できないような悪意にさらされることもある。だが、だとしても人間には知恵があり、連帯することができ、それによってはじめて欲望のコントロール(この場合の control は支配ではなく制御の意味合い)が個々人で可能なものとなり、そしてそれを繰り返すことによってのみ、“最悪”の事態を回避できる、というふうに考えていたのではないだろうかと推察した。

 

現代においては正義も悪も単純なものではなくなりすぎてしまった。その上であえて中世ベースのファンタジー、寓話によって別の視点から語り直すこと、それ自体が作者にとっての信念ある行動であり、また読者にとっては欲望をコントロールする方法論の提示たりうるものとなるよう、希望を込めて紡がれた物語だと、そう思わずにはいられない。

そしてそのために必要なこととして個人には具体的に何ができるのか。物語を作るのはもちろん、反戦デモに参加したっていいし、自分や大切な人たちのために滞りなく日常を送るのに尽力することだって、とても意義のあることだ。そしてそのために ——生きるため、不条理に抵抗するため—— には、何にせよ準備が欠かせないはずだ。


そのうちのひとつとして、今日も我々は食事を摂る。枯れない欲望と対峙しながら、生を、死を想いながら。

 

ナミダバシ解散によせて —“完成”された漫才から生まれるジャズスキリングの熱狂—

ナミダバシ解散に関しての個人ブログ記事のタイトル画像

元写真はフォロワーからお借りしました

西暦2021年12月3日、日本のお笑い芸人・漫才コンビ「ナミダバシ」が解散を発表した。2017年7月結成、活動歴4年半足らずの決断となった。

 

ナミダバシについて

ネタ作り・ボケ担当のたくみとツッコミ担当の太朗によるコンビであるナミダバシは、それぞれ2021年12月現在31歳と29歳で、芸歴8年目以下の芸人だけが舞台に立てる「神保町よしもと漫才劇場」を中心に活動している東京吉本所属の若手漫才師だ。

たくみの“奇人”としか形容しようのない立ち居振る舞いから繰り出される、時空やらなんやら様々なものを歪めつつも、どこかファニーさの残る白昼夢のようなゆめかわボケワールドを、太朗による上方漫才レペゼン明瞭発声コテコテ関西弁長広舌ツッコミが、獰猛な捕食者のごとく大胆不敵にズバズバと切り裂いていく。高速で切り替わる夢と現実のはざまにしか見ることのできない唯一無二の、孤独で、でも強靭な、笑い。
生まれながらにしてアンナチュラルなふたりが織りなすフリーキーな個性と個性のぶつかり合いは、多くのお笑いファンを魅了してきた。

過去最多6017組が出場した今年のM-1グランプリ2021では惜しくも準々決勝敗退となった。今年の準々決勝進出は全126組。126/6017である。彼らにはそこに残る資格も実力も充分にあった。その時のネタがこちら。

www.youtube.com

どうでしょう。面白いですね。はい。

 

漫才とジャズ(のリズムセクション)は似ている

漫才というアートフォームは一般的にボケとツッコミの計2名による会話の掛け合いという形式をもち、めんどくさいしお酒も入ってきたので唐突に文体が崩れますが、私の個人的な“いい漫才”の条件として、「掛け合いが音楽的であるか否か」という基準があります。そしてそれはそのまま、ベースとドラムによるリズム・セクションの演奏に相当するのです。するんだから仕方がないでしょう。ほんで(崩れすぎてる)、いろんな音楽ジャンルの中でも特にリズム・セクションの絡みが魅力のものといったらそれはジャズなんですよね。それではここで一曲お聴きください。

www.youtube.com

 はい。ウェザー・リポート、1979年のアルバム『8:30』から『ティーン・タウン』お聴きいただきました。いただきましたね? はい。ベースはジャコ・パストリアス。ドラムはピーター・アースキン。両名ともジャズリスナーなら誰もが知る名演手であります。ジャコパス先生はこの楽曲の作曲者でもあり、いわゆる「ネタ書いてるほう」みたいなものだとお考えください。

リズム・セクションに求められる楽曲全体の屋台骨としての機能を維持しつつも、縦横無尽に繰り出される奇想天外なベース・フレーズに、パワフルかつ鬼のような手数のドラムが肉迫し、クールで、野蛮で、スリリングなプレイの応酬。ウェザー・リポート創始者であり花形である上物*1の二人、キーボードのジョー・ザヴィヌル&サックスのウェイン・ショーターもこれにはニッコリといったところでしょうか。

ここで先に貼ったナミダバシの漫才をもう一度再生してみてください。私は親切なのでもう一回貼ります。

www.youtube.com

どうでしょうか。めちゃめちゃ音楽的じゃありませんか。私のいう“いい漫才”のニュアンス、伝わるんじゃないかと思います。伝われ〜〜!!!

 

“JAZZ”を感じる瞬間のこと

私はナミダバシのこのネタ、おそらく『マッチ売りの少女』というタイトルであろうこのネタ、いや“曲”を、お笑いの劇場、いや臭くて汚えライブハウスや、それよりはちょっとマシだけど備え付けの椅子に座ると必ず腰が死んでしまう現場などで幾度となく聴いてきました。

M-1グランプリとかいう名のポップ・ミュージック・シーンへ刺すことに照準を合わせ調整された4分半という尺、前半のフリの時点で何かを想起させうる掛け合い、後半へと進むにつれ激しくなる演奏など、楽曲の大まかな構成は最初に聴いたときから変わっていないものの、前半部にキャッチーなフレーズを盛り込もうとあれこれ試行錯誤したり、後半の畳み掛けでよりスムーズに客のハートを掴むべく、128分音符単位で偏執的なまでに間を調節したりと、この曲へかける情熱を肌で感じてきました。

また時には、旧知の仲ではあるものの先にバカ売れした先輩ミュージシャンからアドバイスを受けたりと、他にも私のような一ファンの視点からではカバーしきれない様々なトライアンドエラーを繰り返してきたのでしょう。前出のM-1準々決勝における『マッチ売りの少女』の仕上がりは、これまで見てきたなかで最も優れた演奏であり、アレンジでした。楽曲の持っているポテンシャルを完全に発揮した状態。板の上で起こるこの現象を目撃した瞬間、私は“JAZZ”を感じるのです。ああ、それなのに。

 

なぜやらないのか

ナミダバシは解散を発表してしまった。なぜなのか。つーか、これからっしょ。そもそも準々決126組全組面白いよ。全員合格って阿佐ヶ谷姉妹も言ってたじゃん。あとはもうやるだけじゃんこんだけできるんだから。やってよ。なんでなんだよ。なんなんだよこの世界は。ふざけんじゃねえよ。ちくしょうちくしょうふざけんな

……とかって思うんですけど、なんかよくわかんない公約みたいなのがあったんですよね過去に。これなんですけどべつに読まなくてもいいです。

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まあなんかそんで、これの直後にコロナ盛り上がっちゃってなんか延期みたいな感じでズルズルと活動継続していて、いや、してくれていて、もうそのままうやむや*2)でいいじゃん、って思ってたんですけどね。

しかしまあ現実としてはほぼほぼ公約通り、M-1決勝行けなかったので解散と。は? それの何がかっこいいんだよハゲ。ああ私としたことがboldだなんてはしたない。でもまあそうでしょ。

 

でもバンドとかだったらあるあるだよね

はい。

それでいったら、やっぱやめるのやめま〜す再結成再結成! というのもよくある話で。なのであって、ひとまずこちらとしてはその線を望んで生きていこうかなあなんて思っております。だってさあ、ほんとに、すっげ〜〜〜いいバンドなんだよ。みんなに聴いてほしいし、願わくばまだまだ続けてほしいよ。

おわりです。それでは最後の曲。andymoriで『ユートピア

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バンドを組んでいるんだ すごくいいバンドなんだ

みんなに聴いて欲しいんだ バンドを組んでいるんだ

一人きり部屋のすみで生まれた情熱が

誰かの声を聞いたんだ 確かに聞いたんだ

 

 


 

余談: あと思ったんですけど

お笑いって音楽と比べると、人の曲のカバーとかをプロはあんまりやんないし、バンドの掛け持ちも基本的にはしないんですよね。「ネタ」・「コンビ」という概念が何か聖域とされてるような印象があります。

ネタを書く側書かない側問題とかもあったけど、音楽でいうとコンポーザー優位でプレイヤーの貢献度が適切に評価されていないような。ナミダバシだと特に太朗の長尺明瞭ツッコミはプレイヤーとして超強力なスキルなので、セッションミュージシャンとして重宝されそうなものなのになーと思ったりします。ナミダバシやめんでいいから掛け持ちとかしろ。

また、ネタというのもある種パブリックドメイン的な運用というか、往年のジャズスタンダードみたいな感じで「あの昭和のジャイアントたちが生んだ名曲を演ります」みたいなことがカジュアルに行われたって良いのではとか思いました。需要ないのかなあ。それこそM-1チャンピオンの優勝ネタをやるとかも観てみたいけど。たとえば私なら笑い飯奈良県立民俗博物館』をコウテイにカバーしてほしいです。

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実際のところはまあ、お笑い用語でいうところのいわゆる“ニン” == Player’s personalityと楽曲が何か謎のアウラ的なもので密接に結びついている(べき)みたいな雰囲気だし、もしいざやるぞとなったとしても、日本のお笑い業界って先輩後輩みたいな縦社会の構造いまだに根強いっぽいし、完全に非現実的な話なのですが。

 

それではほんとうに最後の曲、お聴きください。トニーフランクで『壁の向こうに笑い声を聞きましたか』。


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才能ある後輩やめてった

 

ここまで読んでくださった方、“今より少しマシ”な良き人生を。さようなら〜〜(^-^)/~~

*1:リズム・セクションをアンサンブルにおける基部とみなした時、その上部に配置されるべき種々のパートのこと。具体的には管・弦・歌唱などがそれにあたる

*2:すみませんここジャニオタのブログなんで、[PR] だと思ってスルーしてください

ライブ中にデカい声で喋るオタクがうるさかった話

SEXY ZONE repainting Tour 2018』5/2(水)横浜アリーナ公演へ行ってきた

 
行ってきました。
 
コンサート自体は素晴らしく本当に最高だったのですが、後ろの席にいた若い女性数名が、公演中にもかかわらず延々と、それもけっこうなボリュームで私語をなさっており、楽曲やパフォーマンスに集中できず、非常に不愉快な思いをしました。そのことについて書きます。
 
 

\私語?ふざけんじゃないよー/

 
これに尽きます。
 
結果から書きますと、公演途中でさすがに我慢ならなくなり、上述した若い女性数名に対し、けっこうなガチギレのテンションで「おい、歌ってる時しゃべんな」とお伝えさせて頂きました。
それはもうけっこうなガチギレ状態だったため、曲中に後ろへ振り向き、それはもうけっこうなボリュームでもってお伝えすることとなり(正直なところ、実際の表現は「オイ!! 歌ってる時しゃべんなや!!!!!」くらいの語気になってしまいました)、周囲でコンサートを楽しまれているかたがたも「何あの人……いきなりキレて何……引く……」と思われたでしょうし、たいへん申し訳ない思いでいっぱいです。
また私としても実際、その後公演へ再度集中するまでにけっこうな時間を要しましたし、公演が素晴らしかっただけにとても残念で、後味の悪い結果となってしまいました。
 
 

なぜコンサート中に伝えてしまったのか

 
これについては終演後とか本編終了後にでも「あの〜さすがにちょっとおしゃべりがうるさいので控えて頂けると。。。^^;」くらいのライトな伝えかたもあったはずだと思う方もいらっしゃるでしょう。私もそう思います。というか思いました。
なのでここからは所詮言い訳にすぎないという向きもあるかと思いますが、ご容赦頂けましたら幸いです。
 
 

いきなりキレてしまったわけではなく……

 
まず前提として、公演開始時点から私語も始まっていました。さらに「次○○やるよ」などのネタバレ的発言も飛び出し、3月から始まっていたツアーについての事前情報を一切仕入れていなかった私としては、その時点で「おいおい、ギルティ甚だしい奴が居るな……」と思ってしまっていました。この時点で小さく舌打ちをしたかもしれません。
 
その後も私語が止むことはなく、何度か感情ゼロのツラで後ろを凝視したり、小さな抵抗を続けてはいたのですが、公演が素晴らしかっただけにどんどんイライラがつのっていきました。言うまでもないことですが、私はSexy Zoneの歌を聴きにきたのであって、知らない他人のおしゃべりを金払って聞きにきたわけではないのです。
 
また、私語に混じって聞こえてくる笑い声も凄まじくストレスフルなもので、楽曲やパフォーマンスとまったく関係のないタイミングで何度も笑われてしまうと、「あれ? 今面白いとこあったのかな?」となり、あやうく統合が失調しそうになりました。あやういので控えて頂きたい。
 
このように様々な精神攻撃のバリエーションを行使されつつも、「どう注意すればわかってもらえるだろうか」などと考えながら必死で堪えていると、気付けばもうコンサート終盤に差し掛かっていました。
ある楽曲が始まる前に「ペンライトを消してください」というアナウンスがなされ、「あっこれはそろそろ本編もクライマックスでここからマックス盛り上がってくぜ的なやつや」というのを感じ取り、さすがにこれ以降私語を聞かされ続けると厳しいものがあると思い、また、小一時間考えたところで、「真摯な姿勢で、相手に正しく伝わり、改善が見られる」ようなスマートな伝達手段は、残念ながら私の能力では思いつくに至らず、やむなく強い表現で直接伝える運びとなってしまいました。
ただ、伝えたことで私語はほぼなくなったので、結果的・主観的には「伝えて良かった」と思っています。
 
 

Jr.担問題

 
※ジャニーズに興味のないかたは飛ばして読んで下さい
これはあまり書くべきでない話ということを重々承知したうえで書かせて頂きますが、アイドルのコンサートではよく見られる、メンバーが会場の外周に来るパフォーマンス(何と言えばいいのだろう……)が今公演でもありました。
その際、自分の後ろ側にメンバーが来たため、必然的に後ろを振り向く形になったのですが、そうすると彼女たちをどうしても視認することになってしまいます。
正直ツラも見たくないような感情になっていたので、努めて見ないようにしていたのですが、どうしても入ってしまう視界には

バックについているジャニーズJr.メンバーの名前が書かれたうちわ

 
が飛び込んできまして、えーと、マジ頼む……となりました。各位、頼むから宜しくお願い致します。
 
いや私もSixTONESとか好きだし、でも自分をJr.担って思ったことはなく、謎の暗くて深い川が私たちの間には流れているのでしょうか。自分だったら推してるメンバーを明らかにした上でマナー悪い行動とかできないわ……どうしたってそのメンバーへの悪印象に繋がっちゃうじゃん……考えて行動しようよ……!
あとSNSを検索したらJr.担マナー悪いみたいに言われまくっていて、やっぱりそうなんだ〜と思っちゃいました🙅偏見よくない🙅
 
 

わかりあえない可能性

 
彼女たちは、私語の内容から察するに、これまでのツアーにも参加していて、おそらくその際も一貫して推しているJr.メンバーへの応援を中心にされてきたのでしょう。Sexy Zoneへの興味もさほど強くないように感じてしまいました。
 
同じグループのファン同士なら、「話せばわかる」ということもあり得たと思います。しかしながら今回のケースは、必ずしもそうとはいえないものだったように思えてなりません。
 
私を含む我々“セクガル”は、皆、全員、ガチのマジで全員が、赤い薔薇に誓った人間たちです。コンサートでメンバーが言ってくれるように、我々もまたSexy Zoneなのです。
でも、そうではない人もチケットさえ購入できれば、コンサートへの参加は可能だという現状があります。その中には当然、「話せばわかる」わけではない人も含まれてくるでしょう。それは仕方のないことだと思います。
かといって、マナー違反を行う者に対して語気強く注意すべきであるとは微塵も思いませんが、少なくとも直接伝えなければ、他者へ影響を与えるのは難しいでしょう。
 
 

余談1: たとえばの話

 
たとえばもし、このブログ記事がSNS上で“拡散”され、多くの人の耳目を集めたとしましょう。でもそれで彼女たちの意識が勝手に変わったりは、私は絶対にしないと思っています。
SNS上の情報というのは、本当に見るべき、届くべき人には届かないものです。
 
これもたとえばの話になりますが、本当に生活に困窮している人へ、「登録するだけでお金を簡単にGET💓」というプロモーション広告は届きません。なぜなら、本当に生活に困窮している人はスマートフォンやPCなどの情報を得る手段をもたず、それらの情報を伝えてくれる知己も存在しないからです。
また、その広告の真偽も、いったい誰が保証するというのでしょうか。
 
 

その声伝えて

 
もちろん私は、このブログ記事が広く“拡散”されるとは思っていません。というか、そんなことに興味はありません。
なによりも重要なのは、この記事を読んだかたが何を考え、実際に何をするかです。……なんか学校の先生みたいですごい嫌なんですが、自分の不満だけを書いて満足したいわけではないのです。
 
この記事を読んだかたに伝えたいこととしては、今後ライブやコンサート、映画館とか通勤電車の中でもいいです、そういう場でちょっとどうかと思う行動をしている人がもし自分の近くにいたら、その人へどうか直接、あなたの思いを伝えてほしいです。
だって、私だって間違う。よく間違う。何もわからない。だからこそ、伝えるしかないのです。たとえ私とあなたの解釈が違っても、別にいいと思います。昔のえらい人も「わかりあえやしないってことだけをわかりあうのさ」と仰っていました。
 
繰り返しになりますが、我々“セクガル”は全員、赤い薔薇に誓った人間ですので、そうでないかたはまあ、各自頑張っていただくとして、我々は実質Sexy Zoneなので、我々はわかりあえるはずだし、そうありたいし、そうできるはずなので、気持ちは伝えていきましょう。
 
回すんだろ、この手で、この地球(ほし)を……🌏
 
 
 
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